メソテース μεσοτης

読んだ本をもとに少し考察をしています。主に思想、哲学、教育に関連した本をもとに執筆していきます。読みたい本など、読書会のお誘いも随時受け付けております。

「誤配」の教育的意義について

皆さんこんばんは。最近は学校での授業や業務にも少しずつ慣れてきて、心身ともにゆとりがでてきました。それに伴って、読書の量・スピードも上がってきています。なかなか充実した毎日を送っています。 その中の本の一つで、つい先日刊行された、東浩紀さん…

思考は「暴力」である。

皆さんお久しぶりです。4月から学校での勤務が始まり、予想以上の忙しさに慌てふためいていました。学生時代に自分が思い描いていた生活とはかけ離れているものです、、、。自分でもなぜこんなに業務があるのか不思議なほど多いです。かつ、分からないことが…

「身体」とは?私たちが身にまとうもの、生の身体

皆さん、こんばんは。今回の記事は、「身体」についてです。先日、友人と鷲田清一(1998)『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)の読書会をしました。この本の内容、そして読書会での話のまとめとして、「身体」に焦点を当てながらいきます。 これは、当…

「知識」と「行動」:ノブレス・オブリージュ

皆さんこんばんは、私事ではありますが、本日、3/22(金)に大学院を修了しました。この2年間本当に学びたいこと、そして身にしみて学習したこと、様々あります。ここにその全てを書いていると、それだけで終わってしまいそうなので、今日は自分が修士2年目の…

「学校教育2.0」から考える『みらいの教育』

皆さん、お久しぶりです。書きたいネタはあるものの、なかなか全体の構想が練れずに約2ヶ月が経過してしまいました。「モノ」と「精神性」の関係性についてや、テシラヂオのコメントへの応答、「主客未分」状態について、「消費」から考える教育、など中途半…

「精神」でも「身体」でもなく「それ」:二元論を超えて

この記事では、皆さんも必ず経験したことがあるであろう、何かに「没頭する」ことについて、少し考察を加えてみたいと思う。その際、大いに示唆を与えてくれた書籍は、オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』(角川ソフィア文庫)である。この本は、ドイツ人哲学者…